On the Waters

帆船のことや、ヨットのこと

Golden Vanity 100年前のトロール漁船がセイルトレーニングシップに

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イギリスのセイルトレーニングシップ "Golden Vanity"の生い立ちや艤装などについて書いています。私がヤマネコ号で航海したい!と思ってたどりついたのが、このGolden Vanityでした。
onthewaters.hatenablog.com

Golden Vanityの概略

Trinity Sailing Foundation

53フィートのガフカッター。イギリス、デボン州、ブリクサム (Brixham) のTrinity Sailing Foundationが運航しているセイルトレーニングシップです。1908年に漁船(トロール船)として建造されましたが、1980年代に修復されて、現在は、RYAのトレーニングコースと子供たちのアドベンチャー航海のために使用されています。

www.trinitysailing.org

アーサー・ビスコー

Golden Vanityが建造された20世紀初頭、ブリクサムにはたくさんのトロール船が運航していました。Golden Vanityは海洋画家である アーサー・ビスコー (Arthur Briscoe) の注文で建造され、ブリクサムの漁船団を描くために使われていました。そのため、一般的なトロール船が80〜100フィート以上あるのに比べて、54フィートとかなり小さめのサイズに作られています。ビスコーは、17世紀のシーシャンティから、この船を"Golden Vanity" と名付けました。

砂州のなぞ

ビスコーといっしょにGolden Vanityで航海した友人の一人に アースキン・チルダーズ (Erskine Childers) がいます。チルダーズは、アーサー・ランサムの「長い冬休み」でドロシアがフラム号の本棚で見つけた「砂州のなぞ」 (The Riddle of the Sands) の作者です。

ビスコーはチルダーズと共に、北海まで帆走したり、オランダ、ベルギーを訪れたりしたそうです。Golden Vanity での帆走で着想を得てチルダーズが「砂州のなぞ」を書いたとなると素敵なのですが、「砂州のなぞ」の刊行は1903年、Golden Vanity の建造は1908年なので、そうはいかないようです。

Golden Vanity の艤装と内装

艤装

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一般のトロール帆船は、もっと大きく、またケッチリグの船が多いのですが、Golden Vanity はカッターリグです。帆は、以下の5枚。

1: メンスル、2: ステイスル、3: ジブ、4: フライングジブ、5: トプスル

ジブは、大きい方から順に、#1, #2, ストームの3種類があり、風の強さによってつけかえます。それから、ちょっとイレギュラーなのですが、もう一枚ゼノアがあります。

バウスプリットまで含めた全長は、53フィート。船体部分の長さは、38.9フィートです。

そして、ランニングバックステーが、各舷に2本ずつ。タックのたびに、風下舷側をゆるめて、風上舷側をしめる必要があります。

メンスルをあげるのには、最低6人必要です。タックの時には、メンスルに4人、ステイスル1枚につき2人ずつ。もちろんウインチはないのですべて人力です(昔、使っていたという歯車のようなものがありますが、今は使っていません)。驚いたことにウインドラス (錨の巻上げ機) もありませんでした。みんなで交代で、ひたすらキャプスタンを回し続けることになります。

デッキ

Golden Vanityは、スキッパー (船長) 1人と船のボーイ1人で操船できるように設計されたとのことですが、ほとんどの作業がコックピット周辺でなんとかなる近代的なヨットと違いますので、ボーイは相当忙しく走り回らされることになったと思います。

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スターン側。舵は、舵輪ではなくティラーです。かなり力が必要です。

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バウスプリット。バウに乗らなくても、ジブがあげられるようになっています。
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内装

トレーニー6名とインストラクター2名が定員です。

バウに寝棚が6つとヘッズ。船ではトイレのことをヘッズと言います。なぜ1つしかないのに、複数形で呼ぶのか?と一緒に船に乗っていたイギリス人に聞いたら、「うーん、なんでだろう?」と悩まれてしまった。ヘッズは水洗ですが、電動式ではなく、手押しポンプ式です。

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真ん中にサルーンとギャレー。ギャレー (船では調理設備のことをギャレーと言います) にはオーブンもあり、コンロは3口。サルーンのテーブルはバタフライ式で、普段は両側の天板を畳んでおき、必要な時だけ広げる形になっています。かなりきゅうくつではありますが、なんとか8人座って食事することできます。

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そして、スターン側に、チャートテーブルとクルー用の寝棚が2つ。船にはシャワーはないのですが、マリーナにはクラブハウスや公共のシャワーがありそれを使います。

トロール船 (Trawlers)

ブリクサム トロール帆船 (Brixham Sailing Trawlers)

19世紀から20世紀にかけて、ブリクサムは底引き網漁業の基地として栄えていました。19世紀の後半には、200隻のトロール帆船がブリクサムで就航していたとのこと。ブリクサムの漁船は、赤い帆が特徴的です。帆を海水から保護するために、ブリクサムで産出するレッドオーカー(Red Ochre)(酸化鉄を含んだ土) と油をまぜて帆をコーティングしているためです。

いかにも、working boatという風格の無骨な船たち。船底にたくさん魚がつめこめるように船体はまあるく、高いマストにはトプスルもあげられるので、スピードも出ます。トロール漁船の完成形として一世を風靡し、ブリクサム以外にも、ローストフト (Lowestoft)やグレートヤーマス (Great Yarmouth)、北海沿岸のグリムズビー (Grimsby) やハル (Hull) などで活躍していました。
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現在のブリクサム

Golden Vanity の他にも数隻のトロール帆船が保存され、セイルトレーニングや体験乗船に活用されています。

Pilgrim

1895年建造。94.5フィートのガフケッチ。半日や1日のセーリング体験や数日間の航海などを提供しています。デッキの上は昔のままですが、内部はゲストが快適に過ごせるような設備が整っていて、キッチンには大型冷蔵庫と食器洗い機を完備。濡れた衣類を乾かす乾燥室もありました。雨の多いイギリスでは、かなりうれしい。

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http://pilgrimofbrixham.co.uk

Vigilance

1926年建造。78フィートのガフケッチ。写真をよく見ると分かるのですが、バウスプリットが可動式で、港の中では船体の方にしまえるようになっています。

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そして、舵輪が船尾の方に向かってついているのです。これは、もともとヘルム(舵柄)だったものを、ラダーの部分はそのままに、舵輪につけかえたからなんですって。どっちに回すのか混乱しそうですね。

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Leader

1892年建造。105フィートのガフケッチ。Golden Vanity 同様、Trinity Sailing Foundationが運航しているセイルトレーニングシップです。

www.trinitysailing.org

Provident

1924年建造。95フィートのガフケッチ。こちらも、Trinity Sailing Foundationが運航しているセイルトレーニングシップです。

www.trinitysailing.org

これらすべてのトロール帆船が、ブリクサムをホームポートとして、観光やセイルトレーニングに運航されています。何隻もの帆船が当たり前のように行き交い、船の上から他の帆船を眺めることができる。帆船好きにはとても幸せなところです。

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おまけ:ローストフト トロール帆船 (Lowestoft Sailing Trawlers)

ブリクサムと並んで、トロール漁業の基地として栄えていた港にローストフト (Lowestoft)があります。ローストフトといえば、アーサー・ランサムの「ヤマネコ号の冒険」で、ヤマネコ号が出港する港ですね。「ヤマネコ号の冒険」の中で、ピーター・ダックが赤毛のビルについて「あいつは、トロール船で生まれましてね。」(He was born in a trawler.) と言っていますが、そのトロール船というのは、こんな帆船だったわけです。